3.バレリーナ
ユキが、このリンクにくるようになって、4年の月日が流れた。 ユキは、相変わらず、可も無く不可も無く同年代の子供たちと同じくらいの演技レベルであった。 そんなある日、海野コーチの昔からの友人のバレリーナが、京都での引退公演に招待してくれた。チケットは2枚あった。海野は何の迷いもなく、ユキにそのチケットの1枚を渡した。そのバレリーナは、日本でも有名なバレリーナで、以前からユキが憧れていた人だったので、飛び上がって喜んだ。 海野自信は、中学時代にフィギュアスケートに魅入られて、大学時代に一生を捧げる覚悟をしていた。大学を卒業すると選手を引退し、指導者としての道を歩み、気がついたら独身のままで、休日を共にする友人すらいなかった。それで、ユキといっしょにバレエを鑑賞し、彼女がどんな反応を示すかが楽しみでもあった。 バレエ公演会の日の朝がやってきて、ユキは目覚めた。 「おはよう。かあさん」 「ユキ、今何時だと思っているの。まだ真っ暗よ。こんな時間に、起こさないでよ」 「ごめんなさい。おかあさん。わたし、今も目が冴えちゃって。今日はコーチとバレエに行けるんだと思うと、眠れなくって」 「ほんと、しょうがない子ねぇ」 「だってぇ」 「まあ、いいわ。今日は、お弁当作ってあげるか。海野コーチの分もね」 「やったあ。わたしも手伝うわ」 2時間ほど経過して、海野コーチの車が到着し、ユキを乗せて公演会の方へと消えていった。 その日の夕方、ユキは呆然として、バレエの公演から帰ってきた。 「ただいま」 「ユキ、どうだったの」 「うん。よかったよ」といいながら、自分の部屋に閉じこもってしまった。 しばらくして、電話がなった。 「もしもし、海野ですが。お弁当ありがとうございました。とても、おいしかったです。ところで、ユキちゃんの様子、どうでしょうか」 「それが、何か考え事をしているようで、部屋に閉じこもっちゃって、・・・」 「やっぱり。ユキちゃんね、公演会が終わったあと、えらくハイテンションだったのですが、お母さんには前にも少しお話したように、フィギュアにバレエを取り入れたらっていう話をさせてもらったんです。そしたら、ユキちゃん、きょとんとした顔をして、黙り込んで何か考えこんでいる様子だったんです」 翌朝、エリはユキに話しかけた。 「ユキ、バレエもやるの」 「うーん。うん」 「どうしたの。曖昧な返事をして。昨日から、何か変よ」 「お母さん、私ね、確かにバレエも習ってみたいけど、今の私のレベルでは、あんな風に民代さんのようになんて、何もできないよ。いろいろ考えたんだけど」 「やっぱり、そうだったのね。あなたの性格からして、そうじゃないかと思っていたわ。かあさんね、前から海野コーチからあなたにバレエを習わせてはどうかという話を聞いていて、あなたがそんな風に悩んでしまうんじゃないかと思っていたの。海野コーチから聞いた話では、フィギュアの技術が身についてからバレエを習い始めると、バレエが単なるフィギュアの道具になって、どうしても不自然な体の動きになってしまうそうなの。だから、それは意識せずに自然にフィギュアにバレエの動きが取り込まれていけばいいのよ」 「そっか。そういうことだったのね。おかあさん、ありがとう。私、バレエもやってみる」 それから、ユキはフィギュアに加えて、バレエも習い始めた。 当初、戸惑いもあったが、海野の目論見通り、いや、それ以上にユキの中でフィギュアとバレエが融合していった。 それから、3年の月日が流れ、ユキのスケーティングの所作はみるみる変わっていった。あきらかに、これまでの日本人にはいなかったタイプのフィギュアスケータに変身していた。 いったん、リンクでユキが滑り始めると、そのリンクにいる全ての人の視線がユキに釘付けになっていた。
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