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〜 Excellent Spin Fan Board 〜

◆ エクセレントスピンー栄光なき天才スケーター(フィクション)
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明石のおじさん
2012/03/06 (Tue) 00:42

8.ジュニアからシニアへ

 高校1年の冬、ユキは絶好調だった。
 中学3年まで、課題になっていたジャンプも、夏の間に練習を重ね、ほぼ完全にこなせるようになり、全体の流れの中に自然な形で組み込めるようになっていた。元々、不完全なジャンプの状態でも、優勝できるだけのスケーティング力を持っているユキにジャンプが加わった。
 このシーズン、ユキは世界ジュニアグランプリで完全優勝を果たした。ジュニアグランプリシリーズで、出場する2戦とも優勝し、ジュニアグランプリファイナルでも優勝してしまったのであった。1戦目のユーゴスラビアのベオグラード、2戦目のイタリアのミラノ、ファイナルのオランダのハーグとほとんど他のメンバを寄せ付けることなく、全て優勝したのであった。更に、チェコのオストラバで開催された世界ジュニアでも、ユキは優勝した。それら大会を見たほとんどの人がなぜユキがジュニアなのか、あるいはシニアでも優勝できるだけの力、いや美しさを持っていると口を揃えて言い切った。
 そんなユキであったが、日本国内での評価は必ずしも高くはなかった。日本はフィギュアに関しては、後進国であるためジャッジも観衆もわかりやすいジャンプによる評価に偏重していた。いくら、世界で評価されても日本で評価されなければ、オリンピックやシニアの世界選手権などへ出場することはできない。そこで、ユキは自分のスタイルを崩しても高難度のジャンプ技を磨くしかなかった。
 そして、シニアの全日本のフィギュアにも参戦し始め、全日本ジュニア同様、6位以内には入ることはできたが、最高の評価を得ることはできなかった。
 高校2年の夏も、ユキはとにかくジャンプの練習に励んだ。今度は、全日本シニアの大会で勝つために。
 高校2年の冬、ユキはシニアのグランプリシリーズのスケートカナダとNHK杯に挑んだ。結果は、4位と6位でファイナルへ進むことはできなかった。しかし、NHK杯でのテレビ放送でユキのスケーティングを見た多数の視聴者が、ユキが明らかに他の日本人と違う本物のフィギュアを演じることができるスケーターであることに気づき始めた。そこで、NHKでユキのスケーティングの真髄に迫るべく特集が組まれた。内容は、ユキの体の柔らかさと、これまで学んできたスケート以外のピアノやバレエが自然な形でフィギュアと融合されてきたことが結実しつつあるというものだった。番組では、その体質や生い立ちに加えて、若干高校2年生にして常日頃から隅々までに行き渡った美しい体の動きを自分自身で追求しているところに他の人がマネできないユキの魅力があることが強調された。
 そうして、迎えたシニアの全日本選手権では昨年の4位に続いて5位に入ることができた。
上位に食い込めなかったのは、まだ日本国内でのユキの滑りに対する評価が低いこととユキの中でシニアでの滑りが確立途上にあったからであった。しかし、ユキのこれまでの実績が評価され、1月にカナダのハミルトンで開催された4大陸選手権にエントリーされた。

 「久しぶりのカナダやね」
 「はい。去年の10月のシーズン開始のグランプリシリーズ以来ですね」
 「あの時は、4位で、まあまあやったね」
 「このシーズン、カナダに始まってカナダで終わるんは何かええことありそうな気がするし。あっ、両方ともオンタリオ州やし。今度こそ、シニアの大会で3位以内に入れそうな気がするわ。調子ええし」
 「そうやね。私は、ユキのスケートはほとんど完成していると確信してるし、ヨーロッパ以外でも認められてきてると実感してるんやわ。他の国のコーチとかの話を聞いたらね。問題は、採点基準やねんけどな」
 「はい」
 「まぁ、あんまり気にせんと、ユキのスケートをやりきったらええよ」
 「はい」

 翌日試合前、ユキは会場でコスチュームを纏った。
 海野コーチは、ユキがこれまでで一番落ち着いているように見えた。
 ユキ自信が意識しているわけではなかったが、まわりから見た印象では、心技体とも充実し、自信にみなぎった様に見えていた。
 そんなユキが事前練習のために、リンクに出た瞬間、驚くべき状況に呆然と立ち尽くした。
 会場は満員で、大きな声援がユキを包み込んだ。これまで海外遠征で、こんなことは初めてだった。YUKI、ユキ、由希の垂れ幕までたくさんでていた。
 海野コーチがユキたちの面倒を見てくれている現地のスタッフに聞いてみると、この会場からそう遠くはないグランプリシリーズ1戦目のミシサガでのユキの演技によって、噂が噂を呼んで伝説化され、テレビでも何度も特集が組まれて今日にいたったということであった。
 
 フリープログラムでのユキの順番がやってきた。
 すでに終了したショートプログラムでは、3位の成績であった。
 会場は、割れんばかりの拍手と声援が巻き起こった。
「さあ、行っておいで、私のユキ」と、海野コーチがユキを押し出した。
「はい」とユキは元気よく返事して、リンクへ飛び出した。
 ユキがリンクの中心で、音楽開始のポーズをとると、会場は静まり返った。
 音楽がスタートし、静かにユキが動き出した。
 冒頭の3回転3回転をこなし、スパイラル、レイバックスピン、レイバックイナバウアなど1つ1つの技をより美しく演じながら、それらが流れるように進行していった。そして、中盤1度ジャンプの転倒こそあったが、1位の成績となった。
 そして、ショートプログラムで、2位の選手が演技を終了した時点でも、ユキは1位をキープしていた。続いてショートプログラムで、1位の選手も演技を終了した。
 もう、海野コーチの目から涙がこぼれ落ちていた。海野コーチも確信していたわけではないが、少なくともユキは持てる力を全て発揮し、例えジャッジで2位になったとしても海野の中では、ぶっちぎりの1位だと思うことができた。
 キス&クライでジャッジの出るまでが、いつもより長く感じられた。
 ユキの方は、ショートプログラム・フリープログラムともに満足行く演技ができたことで、終始ニコニコ笑顔を見せていた。
 ついに、その時がやってきた。フリープログラムの点数が次々と発表されていく。
 最終順位決定を待ちきれずに、海野コーチがユキに抱きついた瞬間、電光掲示板の順序移動が発生したが、最上段のユキのポジションは変わらなかった。ユキにとっても海野コーチにとっても、シニアの大会での初優勝の瞬間であった。
 「私のユキや。やっぱり私のユキや」と、海野はユキに抱きつきながら涙を流した。
 「はい、海野コーチ」
 ユキの目にも、うっすらと涙が浮かんでいた。

 そして、シニアでの初優勝を果たしたユキのエキシビジョンが始まった。
 ユキの次々と繰り出される美しい演技がナチュラルに流れていく。試合で、全てを尽くしたユキには、エキシビジョンではまともなジャンプを演じることができなかったが、会場にいる誰にとってもそんなことは気にならなかった。演技が終わり、大声援が送られた。
 しかし、ユキは試合の間は気にならなかったが、エキシビジョンの間、右足足首に激痛を感じていた。
 
 「ユキ、これで日本に帰れば、今シーズンの大きな大会は、もうないわね」
 「はい、コーチ。もうすぐ、搭乗時間ですね」
 「ユキ、ちょっと私に右足を見せなさい」
 「何言うてはるの。こんなとこで。いややわぁ」
 「ユキ、私にはわかってるんやで。何年、アンタといっしょにやってきたと思っとんの」
 「・・・」
 「もう、無理したらあかん。足使いもんにならへんようになるで」
 「大丈夫や、コーチ。せっかく、ここまでやってきたんや。トリノまで2年しかあらへんし」
 「とにかく日本へ帰ったら、しばらく休みなさい。お医者さんにも一回診てもらわなあかん」
 「・・・」
 「ユキが私に3回転やりたい言うた時のこと覚えてるやろ。ユキの柔らかさは大きな武器になるけど欠点でもあるんや。それを黙って受け入れるんや。ファンの人も期待するし、まわりでいろんなこと言う人あるやろうけど、フィギュアスケートっていうのはそういうスポーツなんや。夢をあきらめる必要はないけどな、誰でもな、ずっと同じやり方で夢を叶えることはでけへんのや。焦る必要はない。まだ、2年ある。いや、その次のソチやったら6年もある」
 「急に、そんなこと言われてもわからへん。ちょっと考えさせてください。コーチ」

ユキは、日本に帰ってからというもの、練習しようと思っても満足に練習できず、海野コーチが言ったとおりにせざるを得なかった。ユキにとっては、もうすぐ高校3年生になるし、受験を控えていた。スケートの練習は、足首に負担をかけないよう軽目にし、受験勉強や筋トレに費やす時間を増やさざるを得なかった。しかし、いくらコーチから焦るなと言われても、国内外問わず戦ってきたライバル達や後輩の活躍を見るに付け、焦る気持ちを抑えることができなかった。ジャンプさえできればある程度戦えると信じて、足首の状態がよくなると密かにジャンプ練習と状態の悪化を重ねた。
そして、十分な練習ができないまま、高校3年のシーズンが始まった。アメリカのピッツバーグで開催されたグランプリシリーズ1戦目に挑んだ。
結果は、7位だった。これまで、特に海外遠征で高順位をキープしてきたユキにとっては、ショックだった。練習不足とジャンプで力が発揮できない状態で通用するほど甘くはなかった。しかも、右足首の状態は悪化し、もうとても競技へ参加できる状態ではなくなってしまった。ユキは、焦って中途半端な状態で続けてもダメだということを悟り、しばらくスケートから離れて筋トレをやりながら、大学受験に専念することにした。


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