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〜 Excellent Spin Fan Board 〜


◆ 最近思うこと・・・。フィギュア。
[RES]
北海道の人
2012/03/08 (Thu) 22:34

私は、また少しアルコール、第3のビール、ワイン。
私は、小説は書けません。
あるアジアの国は、日本とは政治体制が異なる国ですが、
地上波のスポーツ専門チャンネルがあります。
日本で言えば、NHK体育チャンネル・・・。
日本人です。
世界選手権、女子シングルス、開催国は、ヨーロッパです。
これまでアシュリー・ワグナー選手は、ホームで優勝してきましたね。
(全米、四大陸。)
世界の表彰台ヨーロッパの地で、アウェーで表彰台に立てるか。
立つことができれば、本当の女王ですね。
前回の書き込み、そこがんん〜〜・・・。
アリッサ・シズニー選手もです・・・。
日本勢は、実力があり壁を突き破るのは、充分あるのでは。
由希奈さんと関係なくてごめんなさい。
プロスケーターとして成功を願っています。明日はお休みなので
無料で由希奈さんの解説、聞こうかな。
北海道の人
2012/03/09 (Fri) 17:17

私は、アシュリー・ワグナー選手は、世界選手権メダルをとるような
感じがしています。表彰台に立てる気がする。
今年、3枠獲得かなぁ〜。
地理的に言えば、1番世界女王に近いのは、
イタリアのカロリナ・コストナー選手です。
女性解説者は、「彼女でしたらもう少し難しいプログラムをこなす
実力がある。今回は少しやさしすぎる。」と言われてました。
他のヨーロッパの選手は、もう少しかな。
日本勢は、本当に本当に実力があります。
由希奈さんの全米選手権の解説、聞きました。
とても感じが良かったです。

◆ エクセレントスピンー栄光なき天才スケーター(フィクション)
[RES]
明石のおじさん
2012/03/07 (Wed) 22:42

9.全てを捨てて

 4月、ユキは、海野コーチの母校でもある大学に合格した。そこには、コーチが在籍したフィギュアスケートのクラブがあり、ユキは先輩に誘わるがまま入部した。しばらく、スケートから遠ざかっていたユキにとっては、大学の部活は精神的にも身体的にも現役に復帰するいい機会となった。何より、大学に入ってから本格的にフィギュアを始めてから貪欲に取り組んでいる先輩達や大学に入ってから始めたばかりの同級生がいて時間を共有することが楽しかった。
うまく滑れないけどフィギュアの魅力にとりつかれて一生懸命取り組む姿やフィギュア談義で深夜まで語り合ったりすることが、ユキには新鮮だった。
 ユキは、大学に入って1ヶ月、2ヶ月と、勉強と部活で、それなりに充実した日々を送っていた。
 そんなある日、クラブのコンパの2次会で、先輩が話しかけてきた。
 「ユキ、あなた今のままで、本当にいいの」
 「先輩、何を言ってるんですか」
 「アンタの実力ならインカレとかで、それなりに活躍できるやろうけど、それで満足なの」
 「私は、元々この大学に入って、いろいろ勉強して、やりたい仕事もあったし」
 「ホントにそうなの。そりゃあ、人それぞれ生き方があるし、高校時代にスポーツで活躍しても、高校卒業して普通の大学生になる人もたくさんいるわね」
 「はい。そうですよね」
 「アホ。アンタの実力、いや何よりもアンタの現役復帰をどれだけの人が待ってると思ってんのや」
 「いや、私の足ではもうダメなんです。もう、まともにジャンプでは勝負できへんのです」
 「それも、知ってるわ。大きなお世話かもしれへんけど、私はアンタのケガについても調べてみたんや。アンタの思ってる通り、そのケガは絶対治らへん。せやけどな、おんなじケガしてても、頑張ってるスポーツ選手もぎょうさんおるわ。意外と足を一番酷使する、Jリーグの選手にも多いんや。アンタも、やってみいへんか」
 「いや、私はできるだけ養生しながら、やってきたんやけど、もうムリやてわかってしもたんや」
 「そや、スポーツの一流選手が一流の世界で個人でケガと戦っていくんは、ムリや。そやけどな、そういうスポーツ選手のケガを専門にケアしてくれる専門のドクターもおるんや。それも、トレーニングもコミでみてくれるんや」
 「いや、それもあたってみたけど、ええドクターがおらんかったんです」
 「そやな、確かに日本にはおらんわ。特にフィギュアスケートはな。あんな、アメリカのコロラドスプリングスって知ってるやろ。あっこやったら、アンタみたいなスケーターなんかを良うみてくれるみたいやで。数少ないけど、あっこで復活したスケーターもまあまあおるみたいやで」
 「そうですね。あそこやったらと考えたこともあったけど、親にぎょうさん迷惑かけてきたし、それで復活できるかどうかもわからんし、私ごときにあそこでリハビリさせてもらえるだけの価値はないし」
 「そんなこと心配必要あらへんで。私らがカンパとか募金とかしたるし、アンタのお母さんにも私らが一緒にお願いしたるし。それにアンタのフィギュアスケーターとしての価値をお母さんが一番よう知ってはるで」
 「そうなんですか。みんなそんな風に思ってくれはるんですか」
 「そやろ。なあみんな」と先輩が、声をはりあげた。
 「そや、そや」という声があちこちで聞こえてきた。
 「みんな、ありがとう。なんや、すごい自信なくしてたんやけど、ごっつい勇気がわいてきたわ」
 「よし、みんなで、ユキをコロラドスプリングスへ行かしたろ。どや」と、また先輩が声をはりあげると、拍手と声援があちこちで聞こえてきた。
 「がんばれよ」
 「はよ、足首なおしや」
 「楽しみにしてるし」

 「お母さん、私ね、やっぱりスケート辞められへんねん。アメリカでリハビリやって、復活したいねん。大学のみんなも、行ってこい言うて、応援してくれてんねん」
「あんた、そんなこと言うて、大学はどうすんの」
「大学の先生とも、話し合ってみたんやけど休学して行ってきたらって、言うてくれはるねん。私自身もようわからへんかったんやけど、なんや私のことめっちゃ応援してくれる人が仰山おるねん」
「そうやな。あんた、結構人気もんやさかいな」
 「プレッシャーもあるけど、このまま辞めてしもたら、私、私、・・・一生後悔すると思うねん。もう一度だけ、もう一度だけ、私の我侭聞いてえや」
「しゃあないな。あんたがスケートを始めた時もそうやったし、言い出したら聞かへんもんな」
 「ごめんなさい。ごめんなさい。大学も、ちゃんと卒業するし」
 「しゃあないな。お父さんには、私からもいっしょに頼んだるわ」
 ユキの目から、一筋の涙が流れ落ちた。

「みんな、見送りありがとう。こんなにたくさん来てくれて」

「ユキちゃん、がんばれよ」
「復活信じて、待ってるし」

「みんな、みんな、ありがとう。私、もう一度やり直すから。あっち行って、前みた
いにやれるかどうかわからへんけど、必ず、必ず、もう一度リンクで踊れるようになっ
て帰ってくるし。ほな行ってくるわ」
 また、搭乗ゲートに向かうユキの目から、一筋の涙が流れ落ちた。

◆ エクセレントスピンー栄光なき天才スケーター(フィクション)
[RES]
明石のおじさん
2012/03/06 (Tue) 00:42

8.ジュニアからシニアへ

 高校1年の冬、ユキは絶好調だった。
 中学3年まで、課題になっていたジャンプも、夏の間に練習を重ね、ほぼ完全にこなせるようになり、全体の流れの中に自然な形で組み込めるようになっていた。元々、不完全なジャンプの状態でも、優勝できるだけのスケーティング力を持っているユキにジャンプが加わった。
 このシーズン、ユキは世界ジュニアグランプリで完全優勝を果たした。ジュニアグランプリシリーズで、出場する2戦とも優勝し、ジュニアグランプリファイナルでも優勝してしまったのであった。1戦目のユーゴスラビアのベオグラード、2戦目のイタリアのミラノ、ファイナルのオランダのハーグとほとんど他のメンバを寄せ付けることなく、全て優勝したのであった。更に、チェコのオストラバで開催された世界ジュニアでも、ユキは優勝した。それら大会を見たほとんどの人がなぜユキがジュニアなのか、あるいはシニアでも優勝できるだけの力、いや美しさを持っていると口を揃えて言い切った。
 そんなユキであったが、日本国内での評価は必ずしも高くはなかった。日本はフィギュアに関しては、後進国であるためジャッジも観衆もわかりやすいジャンプによる評価に偏重していた。いくら、世界で評価されても日本で評価されなければ、オリンピックやシニアの世界選手権などへ出場することはできない。そこで、ユキは自分のスタイルを崩しても高難度のジャンプ技を磨くしかなかった。
 そして、シニアの全日本のフィギュアにも参戦し始め、全日本ジュニア同様、6位以内には入ることはできたが、最高の評価を得ることはできなかった。
 高校2年の夏も、ユキはとにかくジャンプの練習に励んだ。今度は、全日本シニアの大会で勝つために。
 高校2年の冬、ユキはシニアのグランプリシリーズのスケートカナダとNHK杯に挑んだ。結果は、4位と6位でファイナルへ進むことはできなかった。しかし、NHK杯でのテレビ放送でユキのスケーティングを見た多数の視聴者が、ユキが明らかに他の日本人と違う本物のフィギュアを演じることができるスケーターであることに気づき始めた。そこで、NHKでユキのスケーティングの真髄に迫るべく特集が組まれた。内容は、ユキの体の柔らかさと、これまで学んできたスケート以外のピアノやバレエが自然な形でフィギュアと融合されてきたことが結実しつつあるというものだった。番組では、その体質や生い立ちに加えて、若干高校2年生にして常日頃から隅々までに行き渡った美しい体の動きを自分自身で追求しているところに他の人がマネできないユキの魅力があることが強調された。
 そうして、迎えたシニアの全日本選手権では昨年の4位に続いて5位に入ることができた。
上位に食い込めなかったのは、まだ日本国内でのユキの滑りに対する評価が低いこととユキの中でシニアでの滑りが確立途上にあったからであった。しかし、ユキのこれまでの実績が評価され、1月にカナダのハミルトンで開催された4大陸選手権にエントリーされた。

 「久しぶりのカナダやね」
 「はい。去年の10月のシーズン開始のグランプリシリーズ以来ですね」
 「あの時は、4位で、まあまあやったね」
 「このシーズン、カナダに始まってカナダで終わるんは何かええことありそうな気がするし。あっ、両方ともオンタリオ州やし。今度こそ、シニアの大会で3位以内に入れそうな気がするわ。調子ええし」
 「そうやね。私は、ユキのスケートはほとんど完成していると確信してるし、ヨーロッパ以外でも認められてきてると実感してるんやわ。他の国のコーチとかの話を聞いたらね。問題は、採点基準やねんけどな」
 「はい」
 「まぁ、あんまり気にせんと、ユキのスケートをやりきったらええよ」
 「はい」

 翌日試合前、ユキは会場でコスチュームを纏った。
 海野コーチは、ユキがこれまでで一番落ち着いているように見えた。
 ユキ自信が意識しているわけではなかったが、まわりから見た印象では、心技体とも充実し、自信にみなぎった様に見えていた。
 そんなユキが事前練習のために、リンクに出た瞬間、驚くべき状況に呆然と立ち尽くした。
 会場は満員で、大きな声援がユキを包み込んだ。これまで海外遠征で、こんなことは初めてだった。YUKI、ユキ、由希の垂れ幕までたくさんでていた。
 海野コーチがユキたちの面倒を見てくれている現地のスタッフに聞いてみると、この会場からそう遠くはないグランプリシリーズ1戦目のミシサガでのユキの演技によって、噂が噂を呼んで伝説化され、テレビでも何度も特集が組まれて今日にいたったということであった。
 
 フリープログラムでのユキの順番がやってきた。
 すでに終了したショートプログラムでは、3位の成績であった。
 会場は、割れんばかりの拍手と声援が巻き起こった。
「さあ、行っておいで、私のユキ」と、海野コーチがユキを押し出した。
「はい」とユキは元気よく返事して、リンクへ飛び出した。
 ユキがリンクの中心で、音楽開始のポーズをとると、会場は静まり返った。
 音楽がスタートし、静かにユキが動き出した。
 冒頭の3回転3回転をこなし、スパイラル、レイバックスピン、レイバックイナバウアなど1つ1つの技をより美しく演じながら、それらが流れるように進行していった。そして、中盤1度ジャンプの転倒こそあったが、1位の成績となった。
 そして、ショートプログラムで、2位の選手が演技を終了した時点でも、ユキは1位をキープしていた。続いてショートプログラムで、1位の選手も演技を終了した。
 もう、海野コーチの目から涙がこぼれ落ちていた。海野コーチも確信していたわけではないが、少なくともユキは持てる力を全て発揮し、例えジャッジで2位になったとしても海野の中では、ぶっちぎりの1位だと思うことができた。
 キス&クライでジャッジの出るまでが、いつもより長く感じられた。
 ユキの方は、ショートプログラム・フリープログラムともに満足行く演技ができたことで、終始ニコニコ笑顔を見せていた。
 ついに、その時がやってきた。フリープログラムの点数が次々と発表されていく。
 最終順位決定を待ちきれずに、海野コーチがユキに抱きついた瞬間、電光掲示板の順序移動が発生したが、最上段のユキのポジションは変わらなかった。ユキにとっても海野コーチにとっても、シニアの大会での初優勝の瞬間であった。
 「私のユキや。やっぱり私のユキや」と、海野はユキに抱きつきながら涙を流した。
 「はい、海野コーチ」
 ユキの目にも、うっすらと涙が浮かんでいた。

 そして、シニアでの初優勝を果たしたユキのエキシビジョンが始まった。
 ユキの次々と繰り出される美しい演技がナチュラルに流れていく。試合で、全てを尽くしたユキには、エキシビジョンではまともなジャンプを演じることができなかったが、会場にいる誰にとってもそんなことは気にならなかった。演技が終わり、大声援が送られた。
 しかし、ユキは試合の間は気にならなかったが、エキシビジョンの間、右足足首に激痛を感じていた。
 
 「ユキ、これで日本に帰れば、今シーズンの大きな大会は、もうないわね」
 「はい、コーチ。もうすぐ、搭乗時間ですね」
 「ユキ、ちょっと私に右足を見せなさい」
 「何言うてはるの。こんなとこで。いややわぁ」
 「ユキ、私にはわかってるんやで。何年、アンタといっしょにやってきたと思っとんの」
 「・・・」
 「もう、無理したらあかん。足使いもんにならへんようになるで」
 「大丈夫や、コーチ。せっかく、ここまでやってきたんや。トリノまで2年しかあらへんし」
 「とにかく日本へ帰ったら、しばらく休みなさい。お医者さんにも一回診てもらわなあかん」
 「・・・」
 「ユキが私に3回転やりたい言うた時のこと覚えてるやろ。ユキの柔らかさは大きな武器になるけど欠点でもあるんや。それを黙って受け入れるんや。ファンの人も期待するし、まわりでいろんなこと言う人あるやろうけど、フィギュアスケートっていうのはそういうスポーツなんや。夢をあきらめる必要はないけどな、誰でもな、ずっと同じやり方で夢を叶えることはでけへんのや。焦る必要はない。まだ、2年ある。いや、その次のソチやったら6年もある」
 「急に、そんなこと言われてもわからへん。ちょっと考えさせてください。コーチ」

ユキは、日本に帰ってからというもの、練習しようと思っても満足に練習できず、海野コーチが言ったとおりにせざるを得なかった。ユキにとっては、もうすぐ高校3年生になるし、受験を控えていた。スケートの練習は、足首に負担をかけないよう軽目にし、受験勉強や筋トレに費やす時間を増やさざるを得なかった。しかし、いくらコーチから焦るなと言われても、国内外問わず戦ってきたライバル達や後輩の活躍を見るに付け、焦る気持ちを抑えることができなかった。ジャンプさえできればある程度戦えると信じて、足首の状態がよくなると密かにジャンプ練習と状態の悪化を重ねた。
そして、十分な練習ができないまま、高校3年のシーズンが始まった。アメリカのピッツバーグで開催されたグランプリシリーズ1戦目に挑んだ。
結果は、7位だった。これまで、特に海外遠征で高順位をキープしてきたユキにとっては、ショックだった。練習不足とジャンプで力が発揮できない状態で通用するほど甘くはなかった。しかも、右足首の状態は悪化し、もうとても競技へ参加できる状態ではなくなってしまった。ユキは、焦って中途半端な状態で続けてもダメだということを悟り、しばらくスケートから離れて筋トレをやりながら、大学受験に専念することにした。


◆ 最近思うこと?
[RES]
北海道の人
2012/03/02 (Fri) 22:01

日本で、地上波で、スポーツの専門チャンネルを作ったほうがよいと思う。
あるアジアの国に行ったら地上波のスポーツ専門チャンネルがありました。
少しフィギュア勉強しました。ペアって、アマンダ・エボラ選手や、
サフチェンコ選手など28歳でどうして競技を続けることができるのか
不思議に思ってしまいました。
なんででしょうね。まったく由希奈さんとは、関係なくてごめんなさい。また由希奈さんは、解説のほうはじっくりゆっくりと
Jsportsで勉強なさるとよいのかなとおこがましいのですが、
思っていますよ。それが地上波につながる道です。
北海道の人
2012/03/05 (Mon) 22:22

私は、小説を書くことはできません。情熱的だね。
私は、少しアルコール。
世界選手権だれが、表彰台に上がるのでしょうね。女子シングルス。
日本勢なのかヨーロッパ勢・・・んん〜。
ただやはりアメリカは、なんだかんだ云ってフィギュア大国ですよ。
またアイスホッケーも充実していて会場も豪華です。
(北米)横26メートル縦60メートル。
(日本、ロシア、ヨーロッパ)は、横30メートル縦60メートル。
全米選手権が開かれるNHLホームではない会場の都市は、
アイスホッケーの2軍級チームのホームリンクだそうです。
大ベテランの男性解説者も言っていましたが、
アマンダ・エボラ選手(27歳)は、ペア競技のイロハをしっている
ベテラン選手です。私も、思いました。
ただ2枠なので世界選手権にはもれましたね。
彼女は、最初ヒスパニック系(メスチーソ、ムラート)かなと
思ったのですが。よく調べたらフィリピン系ですね。
いろいろ勉強になりました。
今日は、フィギュア全般のことを語りました。
最後に由希奈さんのプロスケーター、解説者、大学生の成功を
祈っています。地上波は、まだまだ力を付けてから・・・。

◆ 無題
[RES]
明石のおじさん
2012/03/03 (Sat) 05:46

7.ヨーロッパデビュー

「いやぁ。初めての海外旅行やし、うれしいな」
「あほ、何言うてんねん。遊びに行くうんとちゃうやろ」
「アーララ、お兄ちゃん、何ひがんでるんや」
「あほ。ひがんでなんかないわ」
「ユキ、あんた、世界の檜舞台に選んでもろて行くんやから、しっかり体調整えて万全のコンディションで行かなあかんで。特に、あんたは、食べ物とか気をつけな、太りやすいし。それから、こんど行くソフィアは、ブルガリアやから向こうでヨーグルトとか食べ過ぎたらあかんで。試合終わってからにしいや。それから、水道の水は絶対飲んだらあかんで。
それから、・・・」
「おかあさん、そんな言わんかて、ようわかってるわ。私は、ほんとはすごい不安やねんけど、それに心を支配されんように、明るくコントロールしようとしてるんや」
「ほんまか。食べもん、気いつけや」
「ホンマにしつこいわ」
「ユキ。そろそろ登乗時間やわ。海野コーチも合図してきたわ」
「ほな行ってくるわ」
「気い付けてな」
「がんばって来いよ」
「行ってきまーす」


「ふー。やっと着いたわ」
「いよいよやね。ユキ」
「はい、海野コーチ」
「こっちは何言うたって、日本とちゃうし。やっぱり、前に言うたとおり採点基準が違うのはホンマみたいやわ」
「ふーん」
「私の見たところ、ユキが普段通り、あんたが考えてるスケーティングができたら、ええとこ食い込めるかもしれへんで。まあ、今日はとにかく、時差調整やな」
2人は、他の参加メンバとともに宿泊するホテルへ向かい、翌日の試合に備えた。
 
 「さあ、行っておいで。私のユキ」
 「はい」
 ユキは、勢い良くリンクへ飛び出した。
 ユキの世界デビューショートプログラムは、新しい形のフラメンコとともにスタートした。
 ユキのスケーティングが始まると会場は、いきなり静まり返った。
ほとんど音がしないエッジワークに、しなやかでかつ大胆に揺れ動く、曲線美を追求した上半身の流れ。
 最初の3回転ジャンプが決まった。
 会場全体が、我を思い出したかのように、拍手に包まれた。
 この瞬間に、ユキはヨーロッパで伝説のスケータとして歴史を刻み始めることになった。
 ユキは、スケーティングに集中しながらも思った。
 「何や。この人たちは」
 「私のスケーティングをほんまにわかってくれてるんやろうか」
 「日本やったら、ジャンプ跳んだら大喜びで、後はほとんど知らん顔みたいなもんや」
 「よっし。思いっきり、やったろうやろうやないか。私のスケーティングを」
 「海野コーチから、採点に関係ないから言うてとめられてたあれもやったろ」
 後半に差し掛かったところで、スパイラルからレイバックイナバウア。
 ジャンプでもないのに、会場は静まり返った後、また拍手の渦となった。
 そして、最後のステップを終えて、レイバックスピンが決まると、観客は総立ちで、ユキへ惜しみない拍手を送った。

 そして、フリープログラムでも観客のハートを鷲掴みにしたユキは、海野コーチとキス&クライへ座った。
 海野コーチが耳元で囁く。
 「ひょっとしたら、ひょっとするかもしらんで。ショートで1位やったし」
 「うん」
 「あんたには、やられたな」
 「えっ、何を」
 「決まっとるやないの。あんたのスケートをや」
 「ふふ。ここの人たちはスケートをよう知ってるはるわ。日本と違って」
 「もう、スコアでるわ」 

 会場から、大歓声が沸き起こった。
 「ええ。コーチ、ホンマかいな。夢でもみてるんちゃうやろか」
 「何言うてんの。夢ちゃうわ。優勝や」
 ユキは、立ち上がって、観客に向かて手を振って、声援に応えた。

 ユキは、次のスウェーデンの大会でも4位にはいり、世界ジュニアグランプリのファイナルにも出場することができた。しかし、世界ジュニアグランプリのファイナルでは、ジャンプでの転倒が多く6位になってしまった。そんな中、他の日本人選手2人が1位と3位で
目の前で、ユキの大好きなエキシビジョンを見せつけられることになり、悔しいシーズンの幕切れとなった。
 「私のホンマの勝負は、エキシビジョンやのに。それに出られへんなんて、絶対許されへん。来シーズンは、絶対やったるねん」
 ユキは、文字通り悔しさをバネに、練習に励んだ。
 

◆ エクセレントスピンー栄光なき天才スケーター(フィクション)
[RES]
明石のおじさん
2012/03/03 (Sat) 05:42

6.世界への道

 中学2年の冬、ついにその時がやってきた。
全日本ジュニアの予選から本戦へ初出場を果たした。世界でも通用する見事なレイバックスピンを演じる少女がいると噂にこそなれ、ほとんど無名といってよい京都出身のユキがいた。
 全日本ジュニア本戦ショートプログラムが始まった。
 数十人の参加者のなかで、ユキの順番は真ん中くらいであった。
会場も中だるみ状態で、終始会場はザワザワしていた。
 しかし、ユキの順番が始まると、会場は静かになり始めた。3回転が決まると拍手の渦が会場を包み込む。フィギュアスケートを知らない人が見ても、スケーティングに対して調和のとれた手、足、姿勢の曲線美のハーモニーが、人の感性を自然と引き込んでいく。スパイラル、レイバックスピンなどの技を意識する必要は全くない。ただ、ユキのなかで、極限まで追求された形と動きと音楽のハーモニーを、何も考えずに堪能すればよい。そして、ユキの舞いはスパイラルから彼女が作り出したレイバックイナバウアで最高潮を迎える。
いきなり6位入賞を果たした。
 そして、ユキのスケーティングが審査員の目にとまり、全日本強化選手に選ばれた。
 当初、異例の抜擢で選抜されたユキに対する風当たりは激しかった。しかし、その冬開かれた競技会のうち、ユキが参加した大会ではほとんど10位以内に入るという実績を残してしまった。
そして、ついに、中学3年の冬、特別推薦で、ヨーロッパで開催される世界ジュニアグランプリの選抜メンバに選ばれたのであった。

◆ エクセレントスピンー栄光なき天才スケーター
[RES]
明石のおじさん
2012/03/02 (Fri) 04:10


5.新イナバウア

 フィギュアとバレエに、ジャンプレッスンが加わり、すべての日々をそれらに費やして、中学2年の冬のシーズンが訪れた。
 武田も高校3年生の夏、競技者としてフィギュアは退き、大学受験生となっていた。
 夏のある日、ユキは、武田から大阪のリンクへ呼び出された。
 「ユキちゃん、もう、あまりいっしょに練習できなくなっちゃったけど、今日が最後だよ」
 「はい。武田さんのおかげで、私は全日本ジュニアで戦えるレベルまで成長できました。ほんとに、どうお礼を言っていいのかわからないくらいです」
 「いや。ボクもユキちゃんから、本物のフィギュアを教えてもらって心から感謝しているよ。ユキちゃんに会わなければ、大学入ってからもスケート続けようなんて思わなかったよ。最後にお願いがあるんだ」
「私にできることだったら、なんでも」
「最後に、ユキちゃんのレイバックスピンとイナバウアをこの目に、しっかりやきつけておきたいんだ。また、スケートをやる時まで」
「はい。わかりました」
ユキが、舞い始めた。
リンクにいた人達の動作が止まり、視線がユキに釘付けとなった。
武田に教わったトリプルルッツが決まると、割れんばかりの拍手が沸き起こった。
更に、スパイラルからレイバックスピンへ。
再び拍手の渦。
流れるように、様々なスパイラルとスピンとイナバウア。
最後に、武田のために自分でも初めてレイバックイナバウアが自然と演じられた。
リンクは、今まで誰も見たことのない反り返りながらのイナバウアの美しいフォルムに一瞬静まり返った。
武田には日本のフィギュアスケートが大きな変革がもたらされた瞬間であるかのように感じられた。

◆ エクセレントスピンー栄光なき天才スケーター
[RES]
明石のおじさん
2012/02/29 (Wed) 19:34

4.3回転とレイバックスピン

「ユキ、最近、どうしたんや。中学になってから元気ないな」
「あっ、お兄ちゃん。うん、私ね、スケーティング技術は、誰にも負けへん自信はあるんやけど、どうしても大会になると名古屋の子らには勝てへんし。原因は、お兄ちゃんにもわかってると思うけど」
「そうだな。そこは、コーチもよくわかっていると思うんだけどなぁ」
「うん。でも、コーチは、なんかあんまり私にジャンプをさせたがらへんのや」
「ほな、オレがいっしょに聞いたるわ」

「コーチ、ユキがもっとジャンプやりたい言うてんねんけど、どやろか」
「そやな。その気持ちは、ようわかってるんやけどな。あんな、ユキもよう聞いといてほしいんやけどな」
「フィギュアはな、2回転ジャンプまでやったら誰がチャレンジしても、問題ないんや。そやけど3回転以上になるとなジャンプ力やバランスだけでのうてな、個人それぞれの肉体的な限界がでてくるかもしれんのや。特にユキのように人より柔軟性がある子は、それが武器やけど、ジャンプではハンディになるかもしれへんねん」
「そんなん、やってみなわからへんやん。コーチ、教えてえや」
「・・・。ユキが言い出したら、もう、後へはひかへんのは、私もようわかってる。そやけど、私の言うことをよう聞いて約束してな。関節、特に足のどっかの関節が痛くなり始めたら、無理せんとあきらめるんやで。そうせえへんかったら、あんたの足使えへんようになるかもしれへんよて」
「はい。コーチ」
曇りがちだったユキの顔に、満面の笑顔が戻ってきた。
しかし、海野コーチによるレッスンは、ジャンプよりスケーティングに重点が置かれていた。せっかく、3回転ジャンプの封印が解かれたユキではあったが、悶々とした日々が続いていた。
 そんなユキを見かねた大輔は、夏休みにジャンプを得意にしているスケート友達の武田を紹介してやることにした。武田とは、関西のフィギュアの大会で出会って、たまたま友達になった大輔と同学年の高校2年生だった。大会では、トップクラスまではいかなかったが、3回転ジャンプは一通りこなせる力は持っていた。
「ユキ。どうや、あの武田いうやつ紹介したろか」
「お兄ちゃん。いきなり、何言うてるんや」
「あほ。何勘違いしてんねん。おまえが、ジャンプで悶々としてるから、言うとんのや」
「何や」
「何やは、ないやろ」
ユキは2重の意味で、大喜びだった。武田は、結構ユキのタイプでもあった。
「ほな、今度の日曜日、あいつのホームグラウンドの大阪のリンクで約束とったるわ」
「うん」
それから時々、その大阪のリンクに、ユキの姿があった。

中学生になったユキに、自然な形でバレエの所作と、競技で戦うための3回転ジャンプが融合されていった。
その冬のシーズン、フィギュアスケート界では、ユキの存在が知れ渡るようになっていた。3回転ジャンプを跳ぶ選手はいくらでもいたが、ジュニアの中に超ハイレベルのレイバックスピンを舞う選手がいると。
 海野コーチにとっては、手放しで喜ぶことはできなかったが。

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